クライマー・ドラマー 斎藤清人さん
年間通して山、川のフィールドへ通え、美食に出会えることが南魚沼の魅力
株式会社八海山 営業部 斎藤清人さん
2010年にUターン移住
神奈川→南魚沼
(プロフィール)
斎藤清人(さいとうきよと) 1980年生まれ、新潟県阿賀町出身。高校3年間を南魚沼市(旧大和町)で過ごす。横浜国立大学で文化人類学を学んだことをきっかけに世界各地にフィールドワークへ。道中「大自然、音楽、美酒美食」を探究し、訪れた国は30数ヵ国。29歳の時、南魚沼へ移住し、現在、株式会社八海山営業部に勤務。
ひとり暮らしをしたくて南魚沼市の高校へ。
生まれは南魚沼から100㎞以上も離れた福島県境、奥阿賀の山深い山村ですが、実は高校3年間を南魚沼で過ごしました。
奔放な性格で15歳の時「一人暮らしがしたい」と思い立ち、寮生活ができる高校を探したら開校して数年の進学校が八海山の麓にあり、「ここだ!」と決心しました。
最初の印象は、生まれ育った奥阿賀と同じような田舎街かと思っていましたが、ずいぶん違いました。
まずは積雪。2月の受験にはじめて訪れた日、3mをこえる雪の壁で正門をくぐるまで校舎が見えなかった時間は、絶望感に包まれました(笑)。それから、5月のゴールデンウィークでもスキー場がやっていることに度肝を抜かれました。実家では、ゴールデンウィークは田植えをしますが、こちらでは、まだまだ1mくらいは残雪がありましたから。
新緑の頃、丘に登ると、盆地には水田が輝いていて、その間をひとすじの魚野川が流れて、八海山をはじめとした山々がそびえ立って見えます。開放的な気分になって、本当に美しいと思いました。
人びとはおっとりと穏やかで、それでいて大きな家屋が立ちならび、当時は県内ではまだ珍しかったコンビニも幹線道路沿いに何軒もあって、「経済的にも豊かそうだなあ。同じような田舎街でも新潟の他のエリアとはずいぶん違うぞ。なぜだろう?」と子供ごころに疑問を抱いていました。
大学進学で南魚沼を離れました。お酒を覚えたのは大学のころです。
大学では文化人類学ゼミナールに入りました。文化人類学は机で勉強するというより、現地へおもむき、人々と仲良くなり、酒を酌み交わし、そんな中で知り得た情報をまとめる、といった現地調査(フィールドワーク)が醍醐味です。世界中でのフィールドワークで「人々との交流、お酒のたのしみ」を心得たと思います。
探究心旺盛な仲間にも恵まれ、大吟醸、純米吟醸、吟醸、本醸造、清酒を飲み比べたりする飲み方を覚えました。お金をだし合って5大シャトーを飲み比べたり、スコッチウィスキーの聖地アイラ島の全蒸留所の18年物を集めて飲み比べたこともあり、若くして酒の最高峰を知ることができました。南魚沼の酒屋さんで八海山の全種類を買って帰り、仲間で飲み比べたりもしましたね。
舌や鼻が敏感な若い頃にそういう経験をして培った“味覚”が今となっては財産です。
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